ココロって何だっけ?

精神医学・心理学Ψ・哲学Φをベースに様々な"ココロ"について考えていきます。

幸福とは幸福を探すことである--ジュール・ルナール

"感謝"って何だっけ?[論考2]

ありがとうの語源
 
ありがとうは有り難うと書き、そのルーツを探っていくと有り難しという言葉に辿りつきます。有り難しとは本来珍しいという意味を持っています。*1
現在、感謝の意を表するために使われる「ありがとう」はその派生の結果生まれたものと考えることができます
 
感謝とは心が動かされることによって起きる心的現象であり、それを射している姿と言えるのかもしれません。
そしてその具体的言語的発露として「ありがとう」という言葉が適任であったということなのでしょうか?
 
いずれにしても、
有ることは難く、そのことに気付いた心が動かされるそして頭の中で、もしくは口にして「ありがとう」という言葉が出るということになりそうです。
 
つまり、感謝やありがとうは今あるものに対してあることが難しい、言い換えるならば、あることが簡単ではないということに気がつく、もしくは、実際に失ったものやないものに対してそれがあることが容易ではなかったということに気がついた時生まれるものと言えるでしょう。
 
裏を返せば、
今あるものに対して当たり前だと思っている間は感じることがなく失ったものやないものに対して「ない、ない」と言っている状態では感じ得ないと言えるでしょう。
 
感謝を表面的に理解する人たち
 
これらの論理から導き出される事実は、
「感謝が大切」という表面的な言説ばかり大切にしている人が
「感謝をしたら良いことが起きる、良い方向に変わると教わったのになぜ何も起きないのだ」と苛立ちを露わにしたり、嘆く理由を明らかにしていると言えるのではないでしょうか?
 
一方で「感謝に見返りを求めるから得られないのだ」と諭す人が部分的にいます。
それはそれで大切な理由であるかもしれませんが、本質的な説明ではないと言わざるを得ません。
 
感謝をしていながら、一方ではないものを求めるという矛盾
つまり「あることがどれだけ有難いのか」という感謝の本質を正しく突くことができていない誤解と言えるでしょう。

"感謝"って何だっけ?[論考1]

「感謝は大切」マーケティング
 
 近年の自己啓発ブームやスピリチュアルブームによって「感謝は大切」という言説を耳にしたり、目にする機会が増えたような気がします。それは例えば人づてであったり、書店でこれら関連書籍を目にしたり、電車の広告を通して目にするといった具合です。
 
 しかし、感謝という言葉がここまで多くの人に語られ、大衆化、マーケティング化したことによって「感謝が大切」という表面的な言説ばかりが蔓延し、肝心の本質部分が疎かにされているように感じてなりません。
 
"感謝"の語源
 
 感謝という言葉は本来どのような意味なのでしょうか?
かん【感】
1 深く心が動くこと。感動。「―に入る」
2 物事に接して生ずる心の動き。感じ。「今さらの―は否めない」「隔世の―」
しゃ【謝】
1 わびる。あやまる。「謝罪陳謝
2 ことわる。「謝絶
3 礼を言う。「謝意謝恩謝礼感謝多謝拝謝
4 お礼やおわびを表す金品。「月謝薄謝
5 入れかわる。「新陳代謝
6 (「藉(しゃ)」の代用字)いたわる。「慰謝料
 
 このことから、感という言葉は「物事に接して深く心が動くこと」という意味合いであることが分かります。日常生活において「私は~と感じました」といった表現を使うこともあり、親しみがあって分かりやすいのではないでしょうか。
 一方、謝という言葉は意味が多いだけでなく、謝罪や感謝など熟語として使うことはあっても、それ単体で使われることがないため馴染みがないと言えるかもしれません。そこで、謝という漢字の語源から紐解いてみましょう。
 
謝の古代文字は以下の通りです。
これだけではなんのこっちゃ分かりかねますね。
謝は、言と射でできていて「言」は口を使って鍼灸用の針でさすようにズバリと言うことを表し、射るは張り詰めた矢を手から話すことを表しています。言葉を発することにより緊張を緩めるという意味があるそうです。
 
 古代文字の一番右の形が矢に見えてきませんか?
 いずれにしても「(言葉を)発する」という語源的共通点を見出すことができます。 
 
 つまり感謝とは
「物事に接して深く心が動いた結果(言葉を)発すること」
ということになりそうです。
 
 その具体的な言葉として直観的に思いつく言葉こそ「ありがとう」ということになりそうですが、ありがとうの由来や感謝とありがとうの違いについては次回以降検証していきたいと思います。

【論考まとめ】"不安"って何だっけ?

<はじめに>

 あなたは不安という理解しがたい感情に対してどのような考えをお持ちでしょうか?

 

「私は不安を感じてしまうほど弱い人間だ。」

「不安さえなくなれば私の人生はもっと意義深いものになるのに。」

「不安など感じなければどれだけ私の人生は晴れやかだろうか。」

「不安によって言いたいことを言えず、やりたいことをやれず、なりたい状態になれない。」

 もし少しでも当てはまる部分があるようでしたら、"不安"の論考に目を通されることをおすすめします。

 

~こんな人に知って欲しい!~

  • 不安を感じている人
  • 不安とは何か、興味や関心のある人
  • 不安障害を持っている人

 

<目次>

はじめに↑

[論考1]不安の正体

[論考2]不安の二面性

[論考3]不安の悪循環から抜け出そう

[論考4]不安の最終目標

[論考5]不安を感じなかったら?

[論考6]痛みを感じない病気:無痛症の例

[論考7]「不安を感じない」ことの真偽

[論考8]不安の扱い方その1『認知行動療法』

[論考9]不安の扱い方その2『目的論』

論考まとめ↓

 

<論考まとめ>

  不安には存在意義があり『安全を正常に確保するために備わった防衛機能であ

り、何が危険かを知らせてくれるセンサー』と言えます。不安には否定的側面しか存

在しないのではなく肯定的側面があり、不安を感じることができるからこそ自らを正

常に、かつ適切に守ることができるのです。

 不安を感じることができない状態はあまりにも危険です。なぜなら、不安を感じる

ことができない状態とは痛みを感じることができない状態であり、痛みを感じること

ができない病気である無痛症の人たちは『自分の痛みに気づかないがゆえに赤ちゃ

んの時から唇や舌を噛んで血だらけになったり、包丁などの危ない道具に恐れを抱か

なかったり、2階から降りるときに「階段を歩くより飛び降りた方が早いんじゃない

か?」と思ったりする』というのです。そして、彼らは30歳までに亡くなってしま

うというではありませんか。

 

 それでは不安に対してどのように目標を設定し、どのように取り組んでいけば良

いのでしょうか?

 不安の最終目標は『不安を客観的に上から眺めるもう一人の自分を創り出すこと』

です。不安とうまく付き合うためには

  1. 不安の実態を知り
  2. 客観的かつ冷静に上から眺める自分を創り出す

ということが目標設定の肝になります。

 これらを考える際、最も念頭にいれておくべきことは『不安は感情であり、認知科

学の観点から感情は直接コントロールすることができない』という事実です。つま

り、不安は直接的にではなく間接的にコントロールするべきであるということです。

不安をコントロールしようとして「不安を感じてはいけない」「不安を感じないよう

にしよう」と念仏や呪文のように唱えたことがあるかもしれませんが、本来その行為

は不安をさらに増大させるか、無意味と言わざるを得ません。

 最後に、不安の扱い方について原因論と目的論という二つの立場をご紹介しております。

 

今回の論考が少しでもあなたの知識や生活の知恵に役立つとするならば、本望です。

"不安"って何だっけ?[論考9]

目的論という考え方

私たちは不安を感じた際「なぜ不安を感じているのか?」ということを考えることが多いでしょう。

 

感情というものに対して鈍感になっている私たち現代人にとって、この質問さえス

ルーしている場合が多いかもしれませんが、無意識的意識的にはこのような質問が繰

り広げられている場合が多いのではないでしょうか?

 

不安について私たちが自らにこのように問いかける時、

それは少なからず、原因と結果という因果論的立場に寄与しています。

 

その因果論的立場から体系的かつ適確に作られた代表的な一例として認知行動療法[論考8]でご紹介しました。

 

実際、精神医学や西洋哲学の主流は因果論であるため、私たちにとっては因果論の方が馴染みがあると言えるでしょう。*1

 

しかし、私たちは因果論的立場しか持ち合わせていないのでしょうか?

言い換えるならば「なぜ不安を感じているのか?」という質問以外に実践的に使うことのできる方法はないのでしょうか?

 

原因は自らの内側から探し求めるというよりも、外界の原因を自らに当てはめるというようなパターンに陥りやすいということです。

そうではなく、自らの内側からその関連性を導くことはできないのでしょうか?

 

そこで私は、ミンデルという心理学者が提唱するプロセス志向心理学アドラー心理学の観点から目的論という方法について大まかにご紹介したいと思います。*2

 

目的論とは今ある結果に

「何のために存在するのか?」

「何のためにもたらされたのか?」

という問いを投げかけることによって成り立つ立場と言えます。

 

つまり、不安という結果を生み出した原因や理由を探す因果論的立場と異なり

「目的があって不安という結果を感じている」という考え方に立って不安を眺めるこ

とになります。

 

目的論的立場による質問、例えば、

「自らを守るため」

「自らの精神状態を安定させるため」

「不安を感じることによって多少の焦りを感じさせ、仕事の能率を高めるため」

などによって、原因論では見えてこない内在的な不安の存在意義が見出せるのではないでしょうか。

 

<目的論に興味がある方にオススメの書籍>

1.アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (岸見一見/ベスト新書) 

近年『嫌われる勇気』がアドラー心理学を基礎としてベストセラーとなってから人気のあるアドラーだが、部分的理解に留まる人が多いのではないだろうか?アドラーの人間関係論、目的論、劣等感について全体像を学びたい人におすすめ。

アドラー心理学入門 [ 岸見一郎 ]

 

 

2.『痛みと身体の心理学』(藤見幸雄/新潮選書) 

今回の論考で度々参考にさせてもらった一冊。

新潮選書に選ばれたことが納得できる質・量ともに十分の一冊。

痛みと身体の心理学 新潮選書 / 藤見幸雄 【全集・双書】

 

 

*1: 痛みと身体の心理学(藤見幸雄/新潮選書)

*2: アドラー心理学入門ーより良い人間関係のために(岸見一見/ベストセラーズ)

"不安"って何だっけ?[論考8]

不安を感じる度合い

不安を全く感じないことが健全な状態ではないことが分かったとしても、

「不安はどの程度感じるべきなのでしょうか?」

 

結論から言ってしまえば、不安という感情自体を直接コントロールすることはできませんから、「どの程度感じるべきか」に焦点を当てて統一見解を出すことはできません。

 

「どの程度感じるべきか?」について統一見解を提示することはできませんが、"現在あなたが感じている不安の度合い"と"その不安を導き出す原因となった考え方の確からしさ"を調べることによって[論考4]で述べた不安の最終目標を達成することが可能になるでしょう。

 

これだけでは少し難解で具体的にどうすれば良いのか分からないかもしれません。

 

そこで、今回は臨床の現場において用いられる認知(物事の考え方や受け止め方)と行動を直接的にコントロールすることで感情と身体を間接的にコントロールする認知行動療法(CBT)から認知の面に焦点を当ててお伝えしたいと思います。*1

 

CBTは1970年頃、うつ病治療のためにアメリカのアーロン・ベック医師を中心に体系化された治療法ですが、精神疾患の患者さんだけでなく、広く一般の方々に適応できる方法であると思います。

 

状況から感情が生じるのではなく、状況に対する「認知」が感情を生む。*2

 

あなたはこれまで不安の原因を

「自分の心が弱いから」

「誰々のせい」

「人がいる場面だから」

など自分の精神力や相手、環境のせいにしてきたかもしれません。

 

もちろんそれ自体が間違っているというわけではありません。

 

間違っているわけではありませんが、不安を導くことになっていた本質的原因はあなたの気づかないところで流れる状況に対する歪んだ認知、しかもそれはあなたにとって当たり前になりすぎて、しっかりと意識することなしには歪んでいることにさえ気づくことない歪んだ自働思考(自動的に流れる歪んだ脳内プログラム)と言えるのです。

 

不安はあなたの中においてのみ相対的

不安という感情は人類共通の存在であるかもしれませんが、不安を感じる場面やその程度は人それぞれです。

 

つまり、認知行動療法を実践する際にあなたとあなたではない誰かを比較し、その不安を誘因する原因となる歪んだ認知を捕まえて、

「私はあの人に比べてこんなふうに考えているからだめ」

「これだけ不安を感じているからだめ」

などと決めつけるものではありません。

 

この決めつけという思い込みこそ認知行動療法でいうところの歪んだ認知であるという事実をまず理解して下さい。

 

歪んだ認知はあくまで習慣的に形成されたものであって、それ自体はあなたの人格ではありません。

つまり、歪んだ認知それ自体も、また不安を感じることも、それ自体にバツをつけるというものではないのです。

 

認知行動療法のより具体的な方法について興味がある方や不安感情を和らげたい方々にいくつかのオススメ本をご紹介させていただきたいと思います。ご参考までに。

 

1.『認知行動療法のすべてがわかる本』(清水栄司/健康ライブラリーイラスト版) 

認知行動療法の全体像を把握したいならこの一冊と言えるでしょう。

実践の前提となる理論を理解する第一歩として非常に有効です。

【新品】【書籍・コミック 人文・思想・社会】認知行動療法のすべてがわかる本 イラスト版

 

 

2.『人見知りが治るノート』(反田克彦/エルパカBOOKS) 

今回の記事を書くにあたって特に参考にした書籍の一つです。認知行動療法を病気に対してではなく、広く一般の人向けに書いた理論構成であることに加えて、実践したい人向けの書物となっています。

【後払いOK】【1000円以上送料無料】人見知りが治るノート/反田克彦

 

 

3.『いやな気分よ、さようなら』(デーヴィッド・D.バーンズ/星和書店)

値段ははりますが、値段以上の価値を約束してくれる一冊だと思います。(詳しくは口コミや評価をご覧いただければと思います。)じっくり読みたい方やしっかりと理解したい方におすすめです。

【送料無料】 いやな気分よ、さようなら 自分で学ぶ「抑うつ」克服法 増補改訂第2版 / デーヴィド・D.バーンズ 【単行本】

 

 

4.『こころが晴れるノート』(大野裕/創元社)

日本の認知行動療法の権威と言えばこの人を忘れてはいけないでしょう。皇太子妃雅子様の主治医として有名ですが、非常にわかりやすい文体で説明してくれるため親しみやすいと思います。

こころが晴れるノート [ 大野裕 ]

 

 

*1: 人見知りが治るノート(反田克彦/エルパカBOOKS)

*2: 今からできる!不安に役立つ認知行動療法を 

"不安"って何だっけ?[論考7]

「不安を感じない」仮説の真偽

無痛症の例を参考にするならば、[論考3]において具体例としてあげた

 

「不安など感じていないのだ!」

「私って不安を感じない人間なんだよね。」

 

という表現がどれほど健全ではないかが分かるのではないでしょうか?

不安を感じないということは、賞賛できることでも、素晴らしいことでもなく、本来の人間らしい感受性を失っており、柔軟性を欠いた危険な状態であると言えます。

 

それは究極的に死を意味していると言っても過言ではありません。

 

このようにして考察していくと、[論考5]において、

「もし不安を感じなかったら?」という問いに対して立てた仮説である

 

・晴れやかになる

・強い人間である証拠

・意義深いものになる

・言いたいことを言える、やりたいことをやれる、なりたい状態になれる

 

という一応の解は結局のところ誤解であると言えるのではないでしょうか。

それはほんの一瞬、まさに麻酔や麻薬のような幻想であって、私たちが長期的に生活する上では全くの間違いであると言わざるを得ないでしょう。 

 

もちろん「私たちは一瞬を生き、刹那を生きているのだ」と表現することは可能でしょうが、その積み重ねは長期的な生となり、一般に”一生”と呼ばれる姿として現れます。

 

私たちが瞬間を生きているにしても、成長発達する過程を経ることによって「その場だけ良ければお構いなし」という生き方を選択するのではなく、長期的な生を見る視点を持ち、その視点から人生計画を立てるのではないでしょうか。

 

そうであるならば、

私たちがある瞬間に「不安を感じない」ことをもって「それこそ私らしい人生であり、真の幸せだ」と決めてしまうことは逆説的に、望まない人生を選択している言えるのではないでしょうか。

"不安"って何だっけ?[論考6]

痛みを感じないという状態

 ここからは不安を感じない状態を痛みを感じないという状態に重ね合わせて考察してみましょう。

 

あなたは痛みを感じない人がいるのをご存じでしょうか?

 

現代医学において原因が明らかではなく、これらの疾病を抱えた人たちは周りのサポートなしには生きていくことができないのです。*1

 

痛みを感じないが故に「何が痛みで何が痛みでないのか」を区別する判断材料がありません。私たちが不安という心の痛みを認識することができるのは、私たちが不安を感じない瞬間、この場合は喜びや満足感のような心が晴れやかになる気持ちを知っているためであることが理解できるでしょう。

 

『非常にまれに、生まれつき痛みを感じない人がいる。そのような痛みから解放された生活は幸せのようだが、実はそうではない。痛みを感じとることができない人は、長いあいだ同じ姿勢でいることに不快感を感じないので、そわそわ身動きしないために、関節への血液の供給が損なわれ、青年期になるまでに関節が劣化してしまう。痛みを感じられない人のほとんどは、30歳までに死ぬ。』*2

『痛みは生命の危機を告げるサインだ。我々は痛みを忌避するが、痛みを感じない人が若死にするという事実が逆説の真理となって胸に迫る。痛みと快楽は同一線上にある。極端に走れば死に向かうのも一緒だ。苦痛を解消するのに麻薬(麻酔)を使うことからも明らかだ。そして快楽に溺れる人は痛みに弱い。』*3

『生まれた時から痛みの感覚が欠如しているため、赤ちゃんの時から唇や舌を噛んで血だらけになったり、包丁などの危ない道具に恐れを抱かなかったり、2階から降りるときに「階段を歩くより飛び降りた方が早いんじゃないか?」と思ったりするそうです。』*4

 

私たちは痛みを伴うことによって長生きすることができるのであり、痛みを伴うからこそ痛みに対する耐性を身に付け、理性という力を利用して正しい選択と決断をすることができると言えるでしょう。

 

もちろんこれは心理的側面ではなく肉体的側面の具体例です。

また、現代医学は心身二元論をベースに研究・臨床が行われていることも事実でしょう。*5

 

しかし、一方で私たちは心身が全く別の個々のものであり、関係を持っていないとは考えないのではないでしょうか。

 

・痛みを感じないがゆえに早く亡くなってしまう人がいる。

・痛みを感じない状態は「何が快で何が不快であるのか」を判断する材料がないことと同義である。

 

という事実を知ることによって、不安という痛みを感じられる状態が私たちの生活上の危険からどれだけ多くのものを守ってくれているのか、そしてそもそも不安がなぜ存在するのかということの理由を一つ理解できたのではないでしょうか。

 

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