"不安"って何だっけ?[論考5]
これまでは特に
・不安とは何か
・不安に対する共通の気持ち
・不安の否定的側面
・不安に関する最終目標
について考察し、論じてきました。
つまり、
・不安を知り
・不安に対する私たちの気持ちを知り
・不安との向き合い方の目指すところを知りました。
それでは、既に触れた不安の肯定的側面を認識するために、
その共通の想いについて、[論考2]で不安という存在に対する負の感情であると述べました。
その具体的表現として、
「不安など感じなければどれだけ私の人生は晴れやかだろうか。」
「私は不安を感じてしまうほど弱い人間だ。」
「不安さえなくなれば私の人生はもっと意義深いものになるのに。
「この不必要な不安によって私は言いたいことを言えず、
をあげました。
それでは、その声に応えて、「もし不安を感じなかったら?」
具体的表現としてあげた言葉によると、この答えはおそらく
・晴れやかになる
・強い人間である証拠
・意義深いものになる
・言いたいことを言える、やりたいことをやれる、
ということになりそうです。
果たして本当にそうでしょうか。
正確に言えば、
本当にそれは今ある不安が消えることによってしか手に入らない、
私たちは、不安があることに否定的な側面のみを見出し、
"不安"って何だっけ?[論考4]
不安に関する最終的な目標は何か。
これまで不安についてつらつらと述べるばかりでその終着点が見え
「ウダウダ書いてんじゃねぇよ。」
「結局どうしろって言うんだよ。」
「不安を感じないようにしましょうなんて結論じゃねぇだろうな?
こんな声はあなただけじゃなく、
さて、不安に関する最終的な目標について説明させて下さい。
それはズバリ、不安を客観的に上から眺めるもう一人の自分を創り出すこと*1です。
どこかで聞いたことのある謳い文句ですね。ただ、
どうか、もう少し我慢して読み進めて下さいませ。
大切なことは、不安という感情そのものには力を与えないということ*2です。
なぜなら、認知科学の世界で明らかになっていることですが、
不安をコントロールしようとする行為は、
実際に波を無理矢理抑えこもうと海に出れば、
あなたはニュース情報などによって台風の大きさや動向、
不安と台風、
どれもみな、いつやって来るか分からず、
このことから、不安とうまく付き合うためには、
・その実態を知り
・客観的かつ冷静に上から眺める自分を創り出す
ということが大切です。
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"不安"って何だっけ?[論考3]
不安とは本来とらえどころがなく、曖昧模糊としている上に、それが何かを漠然と理解しても直接コントロールすることのできない感情*1です。
しかし、いや、だからこそ、不安という存在について多面的に理解する必要があるのではないでしょうか?
時に猛威を奮い、制御不能に陥る危険性を備えている不安は私たちにとって脅威であり、否定的なものであり、時に、なくなってしまえば良いとさえ思う存在です。
その結果私たちは、
「不安など感じていないのだ!」
「私って不安を感じない人間なんだよね。」
など、本来感じている気持ちにフタをすることを覚え、不安を直視することの不安を感じているのではないでしょうか?
不安に対する気持ちが膨らめば敏感になり、不安に対する気持ちを無意識意識的に抑圧すれば鈍感になります。*2
"不安を感じるのではないかということに不安を感じる"というのは不安の大きな特徴の一つです。
これは俗に不安の悪循環*3と呼ばれます。
つまり、不安から逃げようとすればするほど不安が肥大し、メビウスの輪のように抜け出すことのできない無限ループにはまって、グルグルと不安の海を泳ぎ続けているような状態に陥るのです。
不安の悪循環から抜け出し、
不安そのものと向き合うことができるようになりませんか?
もちろん、
あなたは不安そのものと向き合いながら、またその不安に不安する悪循環に陥り、また抜け出すというどっちつかずを経験するかもしれません。
しかし、そのどっちつかずの状態に対して必要以上に不安になる必要はありません。
なぜなら、それが普通の人間的感情であり、あなたがバランスを取っている状態の表れだからです。
あくまであなたのペースで悪循環と縁を切っていけば良いのです。
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"不安"って何だっけ?[論考2]
不安というのは、私たち人間にとって長らく否定的な存在であり、どんな分野においても絶対悪のように扱われてきました。*1
ここで私たちが陥りやすいであろう考え方を提示してみたいと思います。
「不安など感じなければどれだけ私の人生は晴れやかだろうか。」
「私は不安を感じてしまうほど弱い人間だ。」
「不安さえなくなれば私の人生はもっと意義深いものになるのに。」
「この不安によって私は言いたいことを言えない。」
「この不安によって私はやりたいことをやれない。」
「この不安によって私はなりたい状態になれない。」
不安に対する表現は多種多様でしょうが、
共通することは不安という存在に対する負の感情であると思います。
しかもほとんどの場合それは絶対的負の感情 *2です。
不安を相対的に負の感情ととらえるのではなく、不安は負の感情でしかないと考え感じていることがほとんどではないでしょうか。
不安は痛みを伴うだけでなく、実際にパフォーマンスのレベルを下げ、行動の意欲と勇気を削ぎ、真に進みたい方向へアクセルを踏み出したにもかかわらず、自らの意思や意図とは関係なく、ブレーキ*3をかけます。
不安とはこのようなものかもしれませんが、このようなものでしかないわけではありません。
つまり、上記に書いたことは不安の一側面であって、不安そのものではないのです。
敢えて分かりやすく二元論的に書くのならば、
不安には否定的な側面もあり、肯定的な側面もある*4のです。
あなたはこのことについてどのような反応を示したでしょうか?
「肯定的な側面なんてあるはずがない!」
「否定的な側面ばかりで肯定的な側面など詭弁でしかない!」
「綺麗事を言うな!」
全てそれも不安に対するあなたの適切な気持ちであり、適切な表現です。
あなたが現に感じているのだから、それは他者がどれだけ不適切だと指摘したとしても、あなたにとっては自然であるが故に適切なのです。
もしまだ吐き出し切れていない不安に対する気持ちがあるならば、今ここで思う存分、不安という感情に対する怒りを、痛みを、悲しみを、憤りを吐き出して下さい。
思う存分ですよ。
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"不安"って何だっけ?[論考1]
あなたは、不安というなんともとらえ難い感情についてと考えたことがありますか?
「不安って何だっけ?」
という命題に自分なりの見解を述べることができますか?
これから論考を通して不安について考えていきたいと思います。
ところで、不安の正体を一言で言ってしまえば、"安全が脅かされることに対する負の感情"と言えます。
つまり、安全を正常に確保するために備わった防衛機能であり、何が危険かを知らせてくれるセンサーであると言えるでしょう。*1
ここで大切なことは、不安とは何かについてただその定義や仕組みを知識として知っているということではありません。
その定義や仕組みを知っていることを前提に、日常生活や仕事、自分自身や人間関係に適用、実践できているということです。
粋っぽく言うとすれば、
『不安を知るために知るのではなく、不安を使うために知るのである。』
ということです。
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