"感謝"って何だっけ?[論考2]
ありがとうの語源
現在、感謝の意を表するために使われる「ありがとう」はその派生の結果生まれたものと考えることができます 。
感謝とは心が動かされることによって起きる心的現象であり、 それを射している姿と言えるのかもしれません。
そしてその具体的言語的発露として「ありがとう」 という言葉が適任であったということなのでしょうか?
いずれにしても、
有ることは難く、そのことに気付いた心が動かされる、 そして頭の中で、もしくは口にして「ありがとう」 という言葉が出るということになりそうです。
つまり、 感謝やありがとうは今あるものに対してあることが難しい、言い換えるならば、あることが簡単ではないということに気がつく、もしくは、実際に 失ったものやないものに対してそれがあることが容易ではなかったとい うことに気がついた時生まれるものと言えるでしょう。
裏を返せば、
今あるものに対して当たり前だと思っている間は感じることがなく 、 失ったものやないものに対して「ない、ない」と言っている状態では感じ 得ないと言えるでしょう。
感謝を表面的に理解する人たち
これらの論理から導き出される事実は、
「感謝が大切」という表面的な言説ばかり大切にしている人が
「感謝をしたら良いことが起きる、 良い方向に変わると教わったのになぜ何も起きないのだ」と苛立ちを露わにしたり、 嘆く理由を明らかにしていると言えるのではないでしょうか?
一方で「感謝に見返りを求めるから得られないのだ」と諭す人が部分的にいます。
それはそれで大切な理由であるかもしれませんが、本質的な説明ではないと言わざるを得ません。
感謝をしていながら、一方ではないものを求めるという矛盾
つまり「あることがどれだけ有難いのか」という感謝の本質を正しく突くことができていない誤解と言えるでしょう。