"不安"って何だっけ?[論考7]
無痛症の例を参考にするならば、[論考3]において具体例としてあげた
「不安など感じていないのだ!」
「私って不安を感じない人間なんだよね。」
という表現がどれほど健全ではないかが分かるのではないでしょうか?
不安を感じないということは、賞賛できることでも、素晴らしいことでもなく、本来の人間らしい感受性を失っており、柔軟性を欠いた危険な状態であると言えます。
それは究極的に死を意味していると言っても過言ではありません。
このようにして考察していくと、[論考5]において、
「もし不安を感じなかったら?」という問いに対して立てた仮説である
・晴れやかになる
・強い人間である証拠
・意義深いものになる
・言いたいことを言える、やりたいことをやれる、なりたい状態になれる
という一応の解は結局のところ誤解であると言えるのではないでしょうか。
それはほんの一瞬、まさに麻酔や麻薬のような幻想であって、私たちが長期的に生活する上では全くの間違いであると言わざるを得ないでしょう。
もちろん「私たちは一瞬を生き、刹那を生きているのだ」と表現することは可能でしょうが、その積み重ねは長期的な生となり、一般に”一生”と呼ばれる姿として現れます。
私たちが瞬間を生きているにしても、成長発達する過程を経ることによって「その場だけ良ければお構いなし」という生き方を選択するのではなく、長期的な生を見る視点を持ち、その視点から人生計画を立てるのではないでしょうか。
そうであるならば、
私たちがある瞬間に「不安を感じない」ことをもって「それこそ私らしい人生であり、真の幸せだ」と決めてしまうことは逆説的に、望まない人生を選択している言えるのではないでしょうか。